灯ろう流しの由来

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 今から約250年ほど前の宝暦、天明、天保の時代に、数度に亘る冷害や大凶作によって東北で数十万の人々が飢餓にあって死亡したと伝えられています。仙台の伊達藩も同様でした。そのため藩内はもちろん藩境を越えて、食を求める多くの人々がこの広瀬川付近に集まって来ました。伊達藩では広瀬橋近くに救助小屋を設け「かゆ」を振舞うなど、できる限りの施策を取りましたが、多くの人々がそこで衰弱し最期を迎えたと伝えられています。その人々の数は数万人とも言われています。この様な非業な死を遂げた人々を供養するため、伊達家第七代重村公夫人の観心院が広瀬橋のたもとに桃源院を開基し、灯ろう流しを始めたと伝えられています。以来、盂蘭盆7月16日に”川施餓鬼”を修行する慣例に従い、毎年灯ろう流しが続けられてきました。更に、戦後は花火大会も同時に開催されるなど、「夏の風物詩」として昭和53年まで市民に親しまれてきました。その後、社会情勢の変化などにより、しばし中断されておりましたが、平成2年、長町、南材地区の商店会、町内会が中心となり復活し現在に至っております。
(社)仙台仏教会灯ろう流し事務局

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